大阪×慶應。福澤諭吉先生が生まれた大阪を、塾生目線で散歩してみた。

皆さん、今日は1月10日です。

110番の日、キャッシュレスの日など、色々ありますが、忘れてはいけないのが

福沢諭吉先生誕生日

ですよね。

大学も誕生日を祝ってお休みです。

今回は、そんな福沢諭吉先生の誕生日に合わせて、先生ゆかりの大阪の街を歩いてきました。

福沢諭吉先生、誕生

福沢諭吉先生は今から185年前の西暦1835年1月10日に、現在の大阪市福島区にあたる、堂島川のほとりの「中津藩蔵屋敷」にてお生まれになりました。

蔵屋敷とは、その名の通り各藩が藩内の米を始めとする特産品を貯蔵・販売し、換金を行うための施設であり交通の要所に多く設けられており、「天下の台所」で有名な大坂には多くの蔵屋敷が立ち並んでいたといわれています。

その中でも、現在も大阪の中心商業地である中之島・堂島エリアは水運の便が良かったことからこの蔵屋敷が密集していた地帯だったとされ、この中津藩蔵屋敷も中之島の北側を流れる堂島川のほとりに設けられていました。

上流の大川を端に発する旧淀川は中之島の北側と南側に分かれる

Googlemapより

諭吉先生の父にあたる「福澤百助」は、中津藩の下級武士であり、この蔵屋敷において「回米方」という役職についていました。

この回米方の主な仕事は、藩地である中津から運ばれてくる米を蔵に納め換金し、そのお金を藩地や江戸の屋敷に送金するという、お金を動かす重要かつ信頼が求められる立場であったとされています。

また、漢学者でもあったこの百助はちょうどこの諭吉生誕の日に「上諭条例」という漢籍を手に入れて喜んでいたということもあり、その中の一文字「諭」をもらって諭吉という名を名付けたとされており、「福翁自伝」”四十両の借金家財を売る”の項にも以下のように記されています。

例えば私の名を諭吉と云うその諭の字は天保五年十二月十二日の夜、私が誕生したその日に、父が多年所望して居た明律上諭条例と云う全部六、七十冊ばかりの唐本を買取て、大造たいそう喜んで居る処に、その夜男子なんしが出生して重ね/″\の喜びと云う所から、その上諭の諭の字を取て私の名にしたと母から聞いた事がある位で、~…

福翁自伝 より

このように、父百助は役人としての職務を果たす傍ら、漢学者としての顔もあるといったような非常に優秀な方であったとされており、回米方の仕事に関しても非常に優れていて、本来であれば2年程度の任期で配置転換をされるところ、15年間もの歳月をこの役職、この土地で過ごしていたとされています。

諭吉先生がお生まれになった蔵屋敷があったとされる場所からは、川の流れを望むことができ、悠久の時を思わせるゆったりとした時間がともに流れているようにも感じさせます。

そして振り向くと、中津藩の蔵屋敷があったとされる場所に碑が立っています。

この記念碑は昭和29年に建立されました。

そしてその横には昭和60年に、生誕150年を記念して建てられた碑もあり、この文字は石川忠雄元塾長が筆を執ったものになります。

やはり、このように大阪の地で諭吉先生のゆかりの地を巡ると感慨深いものがありますね。

そして適塾へ

なんといっても大阪に来たら外せない場所がこの「適塾」です。

長崎で蘭学を学んでいた諭吉先生は、1855年に更なる蘭学修行のために江戸へ向かうことを決めます。

中津に立ち寄らずに大阪へ向かった諭吉は、兄の三之助がちょうど蔵屋敷で回米方をしていたのでそこに立ち寄りました。

しかし、江戸に向かうことを打ち明けると三之助は「大阪で蘭学を学んではどうか」と諭吉にいい、その流れから「緒方洪庵」の教える「適塾」にて学ぶことになったといわれています。

適塾は、生誕の地からもほど近い現在の淀屋橋の近くにあり、今でもその建物を残しています。

周辺には真新しいオフィスビルが立ち並んでいますが、この適塾は大阪に現存する最も古い建物でありとても貴重な存在となっています。

大学生であれば140円で入ることができるので潜入してみました。

内部もかなり当時の面影を残しており、階段に至ってはほぼ直角ともいえるような急なものを見ることもできます。

もちろん、収蔵品の中にはかの「学問のすゝめ」の複製もありました。

この適塾は医学塾ですが、諭吉先生は蘭学、とりわけ写本や翻訳などを中心に学び、1857年には塾長にも就任しており、江戸に行くまでの約1年間、塾長を担っています。

大阪慶應義塾記念碑

適塾から歩いてすぐの道端に、見慣れた「ペンマーク」が立っていました。

説明が特にあるわけでは無く、写真をたくさん撮っていたら通行人に不思議そうな顔をされてしまいましたが、塾生が見れば一目でわかるこのマーク。

輝かしい碑には「独立自尊」の文字が刻まれています。

しかし、なぜこんな場所にこんな碑があるんだろう?そう疑問に思った方も多いと思います。

実は、この場所には慶應義塾最初の分校「大坂慶應義塾」が置かれていたんです。

「慶應義塾百年史 上巻」によると、明治六年から八年の間、三田慶應義塾の大阪分校として置かれていたそうです。

教員の方も交代制で東京から派遣されていたとのことで、名実ともに「慶應義塾が大阪に存在していた」ということになりますね。

また、同書において「大坂慶應義塾」という本からの抜粋が掲載されていたため以下に引用させていただきます。

「当慶應義塾は東京三田慶応義塾の分校なり。其故に此の塾を設くる所以は、関西地方学生に対して東都に上る事の難き者をして就学の便を得せしめんが為なり」

慶應義塾百年史 上巻 より

大阪で学びたい学生のために開校した分校だったというわけですね。

私達に広く学びを与えてくれる懐の広さと暖かさを感じます。

その後、東京と大阪間の交通の発達やその他の都合もありこの「大坂慶応義塾」は閉校となってしまいましたが、実は現在にも大阪に「大阪シティキャンパス」というシティキャンパスもあり、生涯学習や通信教育過程の方の拠点等になっています!

また機会があれば記事でそちらも紹介させて頂きます。

最後に

今回は福沢先生誕生日に合わせてこの記事を書きました。

取材を含め、超短期間で書いたので盛り込みたい事がもっとあった上、僕がこんなことを書いていいのかと思いながら書きましたが、僕自身も知らかなった事を知る事ができて勉強になりました。

今度は大分の中津にも行ってみたいと思います。

そして最後に、

諭吉先生、誕生日おめでとうございます!


参考文献

平山洋 「福澤諭吉」ミネルヴァ書房

福沢諭吉 「福翁自伝」 慶應義塾大学出版会

加藤三明・山内慶太・大澤輝嘉 「福沢諭吉 歴史散歩」 慶應義塾大学出版会


ABOUT この記事を書いた人

Takayama

編集長の高山です。 今一番気になっているのは「分子ガストロノミー料理」。 一番欲しいものは学位記です。
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